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横浜地方裁判所 昭和61年(ワ)566号 判決

原告 甲野一郎

被告 三井物産株式会社

右代表者代表取締役 江尻宏一郎

被告 乙川二郎

右被告二名訴訟代理人弁護士 柏木薫

同 池田昭

同 松浦康治

同 山下清兵衛

同 小川憲久

同 柏木秀一

右訴訟復代理人弁護士 福井琢

被告 丙沢三郎

被告 丁海四郎

被告 株式会社ダイエー

右代表者代表取締役 中内功

右被告三名訴訟代理人弁護士 荻原静夫

主文

一  被告丙沢三郎及び同株式会社ダイエーは、原告に対し、各自金三〇万円及びこれに対する、被告丙沢三郎については昭和六〇年一二月二五日から、被告株式会社ダイエーについては昭和六一年四月九日から、各支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告丙沢三郎及び同被告株式会社ダイエーに対するその余の請求並びにその余の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告に生じた分の一〇分の一は被告丙沢三郎、同株式会社ダイエーの連帯負担とし、右被告らに生じた分の各一〇分の一はそれぞれその被告らの負担とし、その余の費用はいずれも原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して金一九六九万八一〇〇円及び内金一〇〇万円については、被告三井物産株式会社、同乙川二郎、同丙沢三郎及び同丁海四郎は昭和六〇年一二月二五日から、被告株式会社ダイエーは昭和六一年四月九日から、内金一八六九万八一〇〇円については、昭和六一年七月七日から各支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告株式会社ダイエーは、原告に対し、金三一三万四一三〇円及びこれに対する昭和六一年七月七日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(不法行為に基づく損害賠償請求)

1 (当事者)

(一) 原告は、被告株式会社ダイエー(以下「被告ダイエー」という。)に昭和四四年四月に入社し、昭和五七年当時は関東事業本部ショッピングセンター開発管理部の主査(七等級で管理職)として、テナントの管理運営の業務に従事し、昭和五八年三月からは多角化事業本部拡販推進タスク関東に配属され、営業に従事してきた。

(二) 被告丙沢三郎(以下「被告丙沢」という。)は、昭和五六年五月から昭和五八年三月までは右開発管理部次長であり、昭和五八年三月から昭和六〇年二月までは右拡販推進タスク関東主席であって、いずれも原告の直属の上司として原告に対する人事考課権を有していたものである。

(三) 被告丁海四郎(以下「被告丁海」という。)は、昭和五七年当時、関東事業本部人事部長の地位にあり、原告に対する人事考課の調整、配置転換に関する本社人事統括室長への意見具申等の権限を有するものであった。

(四) 被告三井物産株式会社(以下「被告三井物産」という。)は、被告ダイエーと取引のある総合商社である。

(五) 被告乙川二郎(以下「被告乙川」という。)は、昭和五七年当時、被告三井物産の文書部長で、昭和五八年以降は監査役の地位にあったものである。

2 原告は、昭和五二年一一月、被告乙川から、同人所有の横浜市戸塚区〈住所略〉所在の建物一棟(以下「本件建物」という。)を賃借し、以後これを住宅として使用してきた。

3 被告乙川は、昭和五六年一二月ころ、取引先である被告ダイエーの専務取締役A(以下「A専務」という。)に対し、自らが元被告三井物産の代表取締役だったBの娘婿であって、被告三井物産において実力を有するのみならず、文書部長という商取引関係の契約締結をチェックする権限を持つ地位にあることを利用し、かつ、もし本件建物の明渡を被告ダイエーに依頼すれば、被告ダイエーにおける原告の上司らが原告の説得にあたり、これを原告が拒絶すれば、原告が被告ダイエーにおいて不利益な取扱を受けることを知りながら、原告が本件建物の明渡に応ずるよう、協力方を依頼した。

同被告は、その後も翌五七年八月ころまで、A専務に対して同様の協力依頼を続けた。

4 原告は、昭和五七年一月四日、A専務に役員室に呼ばれ、「三井物産の乙川氏から、君の借りている建物の明渡を頼まれた。乙川氏は三井物産の文書部長の地位にあり、大変な実力者であって、ダイエーの社長とも面識がある。ダイエーは三井物産と取引があるが、まだ弱い立場にある。乙川氏は、契約関係を審査する立場にあり、乙川氏の承認がないと契約は成立しない。三井物産との関係があるので明渡して欲しい。明渡さなければ、社長に報告し、君の上司や人事部長にも話をしなければならない。早急に乙川氏と会って話をするように。」と専務取締役たる地位を利用して、半ば脅迫的に本件建物の明渡を命令された。

A専務には、同年三月八日及び四月六日にも、これと同様、本件建物の明渡を強要された。

5 原告がA専務の明渡要求を拒否すると、今度は、被告丙沢及び同丁海が、同専務の意を汲み、共謀のうえ、被告丁海において、原告が属する事業本部の人事部長たる地位を不当に利用し、昭和五七年四月から翌五月にかけ、机をたたきながら大声で「早く明渡して解決せよ。」と怒鳴る等して、原告を脅迫し、被告丙沢において、原告の直属の上司たる地位を不当に利用し、昭和五七年三月から同年九月にかけ、業務中に原告を再三にわたって呼び出し、「乙川氏に家屋を明渡せ、俺は君の人事考課権を持っている。命令に従わなければ君を切る。」「会社に依頼があった以上、会社と会社の問題だ。」「今後俺の部下として扱えないので稟議を書く。組織をなめるな。」「君ももう長くはないだろう。」等と執拗に人事上の不利益を示唆しながら、原告に本件建物の明渡を強要し、もし、明渡さなければあたかも解雇、左遷するかの如き脅迫を加えた。

そして、原告がこれらの要求も拒否し続けたため、被告丙沢は、これに腹を立て報復として、昭和五七年上期から昭和六〇年上期に至る間、原告の人事考課において、考課権を濫用して不当に低い評価をしたばかりか、原告に対し、事ある毎にささいなことに因縁を付けて「お前」呼ばわりをしたり、再三にわたり被告ダイエーを辞めるよう脅迫した。その結果、原告は、恐怖と不安、心労のためノイローゼ状態になる等極度の精神的苦痛を味わった。

また、被告丁海は、昭和五七年上期、下期の原告の人事考課において、被告丙沢が不当に低い評価をしていることを知りながら、これを修正せずに本社人事統括室長に進達した。

更に、被告丙沢及び同丁海は、昭和五八年三月には、共謀のうえ、被告丙沢が拡販推進タスク関東の主席に転出するのに伴い、本件建物の明渡問題が解決するまで原告を被告丙沢の管理下に置くと称し、その権限を濫用して、原告がそれまでの一〇数年にわたって従事してきた管理部門から、性格的に不得手な営業部門である拡販推進タスク関東に左遷するよう意見具申をし、原告はそのとおり不当な配置転換をされた。その結果、原告は、性格的にも合わず、しかも、不慣れな営業の仕事をしなければならないことになり、心身ともに多大の苦痛を味わうことになった。

6 原告は、被告丙沢及び同丁海のかかる不当な人事考課の結果、次のとおり、得べかりし賃金を失った。

(一) 原告の賞与決定の際考慮されるべき業績考課であるDBP(ダイエー・ボーナス・プラン、年二回)の査定(Sを最上位として、以下順にA、B、C、Dとなる)は、以下のとおりであった。

時期   査定   賞与額

昭57年 7月 D 八六万五〇〇〇円

昭57年12月 C 九六万一〇〇〇円

昭58年 7月 D 六〇万二〇〇〇円

昭58年12月 B 八七万七〇〇〇円

昭59年 7月 B 九四万円

昭59年12月 D 八七万二〇〇〇円

(二) 原告の昇給、昇格及び配置転換に関し考慮されるべき能力考課であるMSA(マネジメント・スキル・アプレイザル、年一回)の総合判定(Sを最上位として、以下順にA、Ba、Bb、Bc、C、Dとなる)は、以下のとおりであった。

時期   総合判定  昇給額

昭58年4月  C    八八七〇円

昭59年4月  Bc 一万三四三〇円

昭60年4月  D    五一二〇円

(三) もし人事考課が正当に行われたならばなされたであろう原告のDBP査定は、昭和五八年下期と昭和五九年上期がA、その他の各期はBであり、また、昭和五八年、同五九年及び同六〇年の労働組合員の平均昇給率は、それぞれ、四・五五パーセント、四・六パーセント及び五・〇二パーセントであった。

(四) ところで、被告ダイエーは、非組合員たる管理職に対する昇給、賞与の支給基準を明らかにしないので、原告より一等級下位の組合員である六等級の支給基準及び平均昇給率に従って、原告の得たであろう賞与、昇給額を算出すると、以下のとおりになる(なお、DBPにおいては、一等級下がると考課は一ランク上がるのが基準であるから、賞与額については、六等級で一ランク上の考課を受けたものとする)。

賞与

時期    査定   賞与額

昭57年 7月 A  一二四万五九〇〇円

昭57年12月 A  一四六万二五〇〇円

昭58年 7月 A  一一六万一七〇〇円

昭58年12月 S  一四二万九八〇〇円

昭59年 7月 S  一二九万〇六〇〇円

昭59年12月 A  一三六万九六〇〇円

昇給

昭和五八年

基本給四〇万七六八〇円×四・五五パーセント=一万八五四〇円

昭和五九年

基本給四一万六五五〇円×四・六パーセント=一万九一六〇円

昭和六〇年

基本給四二万九九八〇円×五・〇二パーセント=二万一五八〇円

(五) したがって、原告が受けた損害(差額)は以下のとおりになる。

賞与額減少による損害

昭57年 7月 三八万〇九〇〇円

昭57年12月 五〇万一五〇〇円

昭58年 7月 五五万九七〇〇円

昭58年12月 五五万二八〇〇円

昭59年 7月 三五万〇六〇〇円

昭59年12月 四九万七六〇〇円

以上小計二八四万三一〇〇円

昇給額減少による損害

昭和五八年四月から定年になる平成九年二月まで一六七か月 一六一万四〇〇〇円

昭和五九年四月から定年になる平成九年二月まで一五五か月 八八万八〇〇〇円

昭和六〇年四月から定年になる平成九年二月まで一四三か月 二三五万三〇〇〇円

以上小計四八五万五〇〇〇円

合計七六九万八一〇〇円

7 原告が被告らから人事権、考課権をたてに本件建物の明渡を強要されたことによる精神的苦痛は重大であって、これを慰謝するには金二〇〇万円の支払をもってするのが相当である。

また、原告は、被告らの不当な人事考課及び配転命令により将来の昇格、昇進の道を立たれたうえ左遷され、被告ダイエーにおける生命を失った。これによる精神的苦痛を慰謝するには金一〇〇〇万円の支払をもってするのが相当である。

(以上財産的及び精神的損害総計金一九六九万八一〇〇円)

(被告ダイエーに対する不当利得返還請求)

8 被告ダイエーは、原告のために借上げた社宅につき家主に損料を支払ったと主張して、原告の昭和五七年七月分給料から金一二万円を強制的に控除した。

これにより、被告ダイエーは右同額を法律上の原因なく利得し、原告は同額の損失を蒙った。

9 隔週休として出勤した分、時間短縮分の賃金等相当額

(一) 被告ダイエーとその従業員で構成される労働組合は、次のような内容の、週休二日制及び労働時間短縮に関する協定を締結した(昭和五六年一一月一一日から実施)。

(年間休日数)

公休を五二日、週休を四九日、年始休日を三日とする。

(労働時間の短縮)

一月一一日から六月一〇日までの期間において三二時間の労働時間の短縮を行う。

(二) 被告ダイエーは、原告が名ばかりの管理職であって、労働基準法四一条二号の監督者・管理者に該当しないから、労働組合員と同様に扱わなければならないのに、管理職扱いにし、週休二日制を適用せず隔週休にし、また、前記時間短縮を適用しない。

(三) このため、原告は、昭和五七年度については四二日、昭和五八年度については三五日、昭和五九年度については三四日、週休日に出勤したが、原告の時給は、昭和五七年度が二二四三円二四銭、昭和五八年度が二四九四円五一銭、昭和五九年度が二五八九円四八銭であるから、一日八時間労働として休日出勤した分の賃金を計算すると、昭和五七年度は金八二万〇九二八円、昭和五八年度は金六九万八四六二円、昭和五九年度は金七〇万四三三八円になる(以上合計金二二二万三七二八円)。

しかも、これは休日出勤であるから、二割五分の割増金が付加されるべきでありその合計金額は金二七七万九六六〇円となる。

(四) 時間短縮の関係では、原告は、昭和五七年度から昭和五九年度まで各年度三二時間の時間短縮をせずに労働したから、前記各年度の時給により賃金を計算すると、昭和五七年度は金七万一七八三円、昭和五八年度は金七万九八二四円、昭和五九年度は金八万二八六三円であり、その合計額は金二三万四四七〇円となる。

以上の8項と9項の損失額合計金三一三万四一三〇円の金員を被告ダイエーは不当利得しているから、右同額の金員を返還すべきである。

よって、原告は、被告丙沢、同丁海及び同乙川に対しては民法七〇九条に基づき、被告三井物産及び同ダイエーに対しては民法七一五条に基づき、連帯して金一九六九万八一〇〇円及び内金一八六九万八一〇〇円については昭和六一年七月七日から、内金一〇〇万円については、被告ダイエーは昭和六一年四月九日から、その余の被告らは昭和六〇年一二月二五日から各支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、被告ダイエーに対し、不当利得の返還請求として金三一三万四一三〇円及びこれに対する昭和六一年七月七日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告丙沢、同丁海及び同株式会社ダイエー)

1  請求原因1の(一)ないし(三)及び2の各事実は、いずれも認める。

2  同1の(四)、(五)及び3の各事実は、いずれも知らない。

3  同4及び5の各事実は、いずれも否認する。

4  同6の事実中、被告ダイエーの人事考課制度に関する部分は認め、その余は争う。

5  同7の事実は争う。

6  同8の事実中、被告ダイエーが社宅の損料として金一二万円を原告の賃金から控除したことは認めるが、その余の事実は否認する。これは、原告の承諾を得て執った措置である。

7  同9の事実中、(一)、(二)の事実は認め、その余の事実は争う。

(被告乙川及び同三井物産)

1  請求原因1の(一)ないし(三)の各事実は、いずれも知らない。

2  同1の(四)、(五)及び2の各事実は、いずれも認める。

3  同3の事実は否認する。

4  同4ないし6の各事実は、いずれも知らない。

5  同7の事実は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

第一不法行為による損害賠償請求について

一  請求原因1の(一)ないし(三)の各事実は、原告と被告丙沢、同丁海及び同ダイエーとの間では争いがなく、その余の被告らとの間では、弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、請求原因1の(四)及び(五)の各事実は、原告と被告三井物産及び同乙川との間では争いがなく、その余の被告らとの間では、弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

二  右一において確定した事実に〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を総合すると次の各事実が認められる。

1  原告は、昭和五二年一〇月、被告三井物産の幹部であった被告乙川から同人所有の本件建物を賃借し、同年一一月以降これを住居として使用してきた。なお、原告は、それ以前被告ダイエーの借上げ社宅に住んで、同被告から住宅費の補助を受けていたが、本件建物を個人的に賃借することになった後も、被告ダイエーに対し社宅退去の届出をすることなく、従来と同様に住宅費の補助を受け続けた。

2  被告乙川は、昭和五六年一一月の契約更新期をむかえ、原告に本件建物を明渡してもらおうと考え、同年四月に口頭で、同年五月には内容証明郵便で原告にその旨申入れたが、原告は、これに対して拒絶の姿勢を示し、被告乙川からの電話にも出ず、面談にも応じようとしなかったうえ、多数にのぼる手紙に対してもなんの応答もなかったので、契約更新期を過ぎた同年一二月末ころ、被告乙川は、三井物産時代の知人で原告の勤務先である被告ダイエーのA専務に窮状を話したうえ、明渡問題に関して原告と会う機会を持てるよう助力を求めた。同被告は、その後も、原告との交渉経過を報告するかたわら、この問題解決のための協力をA専務に依頼した。

3  A専務は、翌五七年一月四日原告を役員室に呼び、原告に対し、本件建物の明渡を説得する一方、この件に関し乙川と直接話合うよう求めた。原告はこれに応じて、同月二四日被告乙川と面談し、原告は条件のよいところがあれば移転することとし、被告乙川は適当な物件を捜すということで、一応の合意をみた。しかしながら、その後被告乙川が捜した多数の物件に対して原告は何らの反応も示さず、事態は推移した。

A専務は、同年三月八日原告に対し、重ねて被告乙川と至急話合いをするよう勧告し、更にその日の午後一〇時三〇分ころ、原告の直属の上司で関東事業本部ショッピングセンター(以下「SC」という。)開発管理部次長(当時部長は任命されておらず、事実上のトップ)の被告丙沢は、被告ダイエーに入社する前からA専務とは知合いであったこともあって、原告を呼び、その地位を利用して、左遷もほのめかしながら本件建物の明渡を強く説得した。

4  原告は、その後同年五月二四日まで、被告ダイエーの関東事業本部人事部長であった被告丁海その他人事部の担当者等から、一〇数回にわたり明渡を勧められた。

殊に、被告丁海は、同年四月七日A専務から、同人の旧来の友人が原告との間で本件建物の明渡を巡って紛争になり、困っているので善処して欲しい旨の依頼を受け、原告に事情を聴いたうえ、原告の住居について調査したところ、原告が被告ダイエー借上げの社宅を無断で出て本件建物に転居しながら、住宅費の補助を受け続けていることが判明したため、同月一九日ころ、原告を呼び、その旨問い質したうえ本件建物の明渡問題にも触れ、明渡して解決すべき旨強く勧告し、更に同年五月一〇日、原告と面談し、原告に対して前回同様の話をした。しかし、被告丁海と原告との直接的な接触は、それに止まった。

5  被告丙沢は、前記三月八日の説得の後も、同年四月一七日ころから同年八月三一日ころまでの間前後八回位にわたって、社宅の無断退去、住宅費補助金の不正取得の問題等をからめ、人事上の不利益的取扱を示唆しながら、執拗に本件建物の明渡を強く迫った。

しかし、同年八月下旬ころから、原告が従来以上に態度を硬化させたこともあって、被告ダイエーの関係者らによる本件建物明渡の説得は終わった。

これら一連の経過の中で、原告は、被告丙沢に対し強い反感を抱くようになった。

以上の事実が認められ、これに反する〈証拠略〉は、いずれも信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  ところで、企業内において上司ないし序列上上位にあるものが部下ないしは下位にある者の私生活上の問題につき一定の助言、忠告、説得をすることも一概にこれを許されないものということはできない。例えば、部下が会社とは関係なく個人的に賃借している住宅につき、家主との間で賃貸借の終了及びその明渡を巡って紛争状態にある場合、賃貸借が終了していると考えるか否か、また、そのいずれの場合であっても、何らかの条件で明渡要求に応じるか否か等、総じてその紛争を当事者間の和解により解決するか否かは、本来賃借人たる部下が自らの判断と責任において決定すべき問題である。けれども、上司が部下から当該紛争につき助言・協力を求められた場合は勿論、そうでなく会社若しくは上司自身の都合から積極的に説得を試みる場合であっても、それが一定の節度をもってなされる限り、部下に多少の違和感、不快感をもたらしたからといって、直ちに違法と断ずることはできない。しかしながら、部下が既に諸々の事情を考慮したうえ、自らの責任において、家主との間で自主的解決に応じないことを確定的に決断している場合に、上司がなおも会社若しくは自らの都合から、会社における職制上の優越的地位を利用して、家主との和解ないしは明渡要求に応じるよう執拗に強要することは、許された説得の範囲を越え、部下の私的問題に関する自己決定の自由を侵害するものであって、不法行為を構成するものというべきである。

これを本件についてみるに、被告丙沢は、原告に対し、原告が本件建物の明渡を頑強に拒んでいることを知ったうえで、人事上の不利益をほのめかしながら、少なくとも二か月間前後八回にわたり執拗に本件建物を被告乙川に明け渡すことを説得し続けたというのであるから、上司として許された説得の範囲を越えた違法な行為というべきであり、被告丙沢は、このことにより原告が受けた精神的苦痛を慰謝すべきものというべく、これを慰謝するには金三〇万円の支払をもってするのが相当である。

また、前記認定の事実関係によれば、被告丙沢の右不法行為が被告ダイエーの事業の執行に関してなされたことは明らかであるから、被告ダイエーは、民法七一五条に基づき、使用者として、被告丙沢を連帯して原告に対する損害賠償義務を負うというべきである。

しかしながら、被告丁海の原告に対する説得は、その回数、態様からして未だ許された説得の範囲を逸脱しているとまでいうことはできないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、同被告が被告丙沢の逸脱行為についてまで予見していたことを認めるに足りる証拠もないから、共謀による不法行為責任を肯定することもできない。

また、被告乙川がA専務に対して本件建物の明渡問題解決のため協力を依頼したことは、前記認定のとおりであるが、被告乙川について共同不法行為が成立するというためには、同被告において、A専務の部下らが許された説得の範囲を逸脱し、違法な強要をすることにつき、予見していたことが必要と解されるところ、この事実を認めるに足りる証拠はないから、同被告に対して不法行為責任を問うことはできない。

したがって、被告乙川の使用者である被告三井物産について使用者責任が成立する余地もない。

四  原告は、更に、原告が被告らの強い説得を拒否したことから、被告丙沢及び同丁海が共謀して、昭和五七年七月以降、原告について人事考課上不当に低い評価をし、また、原告をもっとも不得手な部署に不当配転したばかりでなく、いやがらせ・退職の強要をするなど違法な報復行為を続け、これにより原告は精神的苦痛を被ったばかりでなく得べかりし賃金を失ったから、被告らに対し、これによる損害賠償請求権を取得したと主張するので、この点について検討する。

既に確定した諸事実に前掲各証拠を併せ考えれば、以下の事実が認められる。

1  昭和五八年三月、原告は、被告ダイエーの多角化事業本部拡販推進タスク関東に配置換えになった。これと同時に、被告丙沢も右拡販推進タスク関東主席に配置換えになり、昭和六〇年三月に転出するまで、同じ部署の直属上司と部下の関係は変わらなかった。

2  原告に関する被告ダイエーの人事制度は、次のようなものである。

原告は、七等級の副主事で管理職であるが、管理職の人事異動は、本社の人事統括室長が立案し、社長が決裁する。原告が属していた関東事業本部の人事部長である被告丁海は、原告の具体的な人事異動には直接関与しないし意見を求められることもない。

管理職である原告に適用される人事考課には、DBP(ダイエー・ボーナス・プランの略)考課とMAS(マネジメント・スキル・アプレイザルの略)考課がある。

前者は賞与額決定のための業績考課で、年に五月と一〇月の二回、それぞれ対象期間を九月から二月、三月から八月にして実施される。査定方法は、設定された課題の難易度、達成度、努力度、業務への取り組み方を個別に数値化し、査定者が他の部下との比較で最終的査定をするというものである。査定は直属上司がこれをなし、事業本部長が各部門の査定者の査定表に基づき各部門、各職位間の調整をしたうえで、各人の具体的支給指数を決定し、それを本社の教育人事室に提出し、これに基づいて各人の具体的な支給額が決定される。

後者は昇給昇格のための総合考課で、年に一回、二月に実施される。考課の方法は、判断力、決断力、目標設定力等に関する一〇数項目についてA、B、Cの三段階評価をしたうえ、上位等級にすべき人材であるかなどのS、A、Ba、Bb、Bc、C、Dの七段階の総合判定をするものである。考課者は直属上司であり、直属上司はMSA考課表を作成してこれを上司に提出し、事業本部長はこれを集約調整して本社の人事統括室に提出し、最終的には社長が決定する。

3  原告のDBP査定表(被告丙沢が作成したもの)の査定は、昭和五七年五月がD(極めて不満足な結果であった)、同年一〇月がC(やや不満な点も残った)、昭和五八年五月がC、同年一〇月がB(ほぼ満足しうる業績であった)、昭和五九年一〇月がDというものである。

原告のMSA考課(被告丙沢が作成したもの)の総合判定は、昭和五八年二月がC(現等級としてはやや劣る)、昭和五九年二月がBc(現等級として不満な点もあるがほぼこなしている)、昭和六〇年二月がD(現等級としては極めて劣る)というものであった。

被告丙沢は、昭和五八年二月の原告のMSA考課表に、総合コメントとして、「原告は部次長スタッフとしては著しく不十分、SCにおける長期滞留にも原因があるとおもわれるが、気力、活力、意欲が極めて低い、積極性向上心に欠ける、会社、仕事に対する価値観も管理職としては異常、配置転換による活性化が急務」との記載をし、また、昭和六〇年二月のそれには、「小職自身の感情的なものも多分にあるが、会社、仕事に対する価値観の特異性、長年の処遇からくるモラルが甚だしく低い、今回の組織変更で「ババヌキ」ができてほっとしている、今年度は売上、粗利とも最低で、ライン部門、対外業務をさせるべきではない、スタッフ、事務部門への異動が望ましい」との記載をしている。また、被告丙沢は、昭和五九年九月には、上級の人事担当者に対し、原告とは感情的対立の極限にあり早急な異動を考えて欲しいと伝えている。

ところで、昭和五八年度における原告の販売実績は、関東、近畿の両拡販推進タスクに属する一六人中、売上高で二位、粗利高で四位であった。

4  原告は昭和五七年四月に六等級から七等級に昇格したが、昇格するためには、その前四期の人事考課がAでなければならず、被告丙沢は、昭和五六年下期の人事考課としてはAの評価をした(しかし、業績面ではCということで、DBPの評価はCにした)。

五  ところで、企業において、部下の人事考課や賞与の査定をする者は、その人物・資質及び能力や対象期間における業績を客観的かつ適正に査定して、公平無私な評価をすべきは当然であり、いやしくも与えられた裁量権を濫用して、個人的な恨みを晴らしたり、職務と無関係な事項につき自分の意に沿わぬ行動を採ったことに対して報復するなど不当な目的をもって、不当に低い考課や査定をし、あるいは配置換えにつき不利益な意見を具申することは許されず、かかる行為をした結果、部下に経済的損害ないし精神的苦痛を与えた場合には、違法な法益侵害として不法行為責任を負うものと解すべきである。

これを本件についてみると、本件建物の明渡問題に関連して被告丙沢と原告の間にかなり深刻な感情的対立が生じたこと、原告にとって、SC開発管理部から拡販推進タスク関東への人事異動は不本意なものであったこと、昭和五七年五月以降のDBPの査定、昭和五八年二月からのMSAの考課が芳しくないこと(なお、原告は昭和五七年四月に七等級に昇格して初めて、MSA考課を受けるようになった)は前認定のとおりであり、これらの事情に着目すれば、本件建物の明渡問題を巡って被告丙沢と原告との間に生じた感情的対立が、同被告の原告に対する人事考課、賞与査定及び配転に関する意見具申について何らかの影響を与えたのではないかとの疑念も生じないわけではないが、他方、人事考課や配転に関する意見具申等にあたって、考慮すべき事項は多岐にわたり、その判断基準もしかく単純なものではないうえ、原告はかって部下を持つ課長から部下のないスタッフに格下げになったこともあり、また、六等級に留まった期間が相当長いのに当時は七等級になって間がない時期であり、更には、SC部門の勤務が長くてその職務経歴がかなり偏っているなど、問題とされるべき点もあって、前記事情のみでは、被告丙沢が人事考課等をするにあたり、原告が自分の意向に反する言動を続けたことに対する報復として、その裁量権を濫用したとまで断定するには、なお、躊躇を感ぜざるをえず、他にこの点につき確信を得るに足りるだけの証拠もない。

また、被告丁海は、関東事業本部の人事部長として、被告丙沢のなした考課、査定を上位者に提出するにあたって、自らが掌握している範囲の従業員間の考課、査定の調整をする地位にあったが、その裁量権を濫用ないし逸脱して調整したことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関して、被告丙沢及び同丁海について不法行為責任を認めることはできず、また、右不法行為を前提とする被告ダイエーの使用者責任、被告乙川及び同三井物産の不法行為責任、使用者責任も認めることはできない。

第二不当利得の返還請求について

一  社宅損料の控除

被告ダイエーが原告の給与から借上げ社宅の損料として金一二万円を控除したことは、当事者間に争いがないが、〈証拠略〉によれば、これは、被告ダイエーの人事部の担当者が原告の了解を得てしたことであると認められるから、右控除は法律上の原因があるものというべきであり、原告の主張は理由がない。

二  労働時間短縮等の協定関係

被告ダイエーとその労働組合が週休二日制及び労働時間短縮に関する協定を締結したこと、原告はその協定の適用を受けないことは、当事者間に争いがない。

使用者と労働組合が勤務時間等の労働条件につき協定(労働協約)を締結した場合、当該協定の本来的適用対象者が一つの事業場で三分の二以上になれば、右協定の効力は労働組合法一七条の規定により同種の労働者についても及ぶことになるが、その場合でも、企業における職制上管理職とされ、労働組合員たる資格のない者には、その効力は及ばないと解すべきところ、原告が被告ダイエーの管理職で非組合員であることは明らかであるから、たとえ、現在原告に一人の部下もなく、経営上の重要な事項に関与せず、一般の労働者と同じように出勤、退社の時刻が拘束されていても、やはり右協定の効力は及ばないというべきである。

したがって、原告につき右協定の適用をすることを前提にする不当利得の返還請求は理由がないことに帰する。

第三結論

以上によれば、原告の本訴各請求は、被告丙沢及び同ダイエーに対し損害賠償として各自金三〇万円及びこれに対する、被告丙沢については昭和六〇年一二月二五日から、被告ダイエーについては昭和六一年四月九日から、各支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐久間重吉 裁判官 山本博 裁判官 吉村真幸)

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